ジュガードとイノベーション
優れた解決法を考え出す目的工学に基づいたイノベーション

紺野登氏インタビュー

インド特有の考え方に「ジュガード」というものがある。「ジュガード(Jugaad)」はヒンディー語で、その意味は「目の前にあるモノで、新しいモノを創造する」である。つまり、資源が限られている中で、工夫と機知で間に合わせの解決方法を見つけることだ。ここでは、リソースが無い中でも、何とか目的を達成しようとする所からイノベーションが生まれる。最近、ビジネスの現場でも改めて企業経営の「目的」が問われている。そして、目的を媒介にして社会的に意義あるイノベーションや事業を創造しようというのが時代の大きな流れで、ジュガードイノベーションが注目されている。その背景には何があるのか。利益追求以外の目的はどうマネジメントするべきか。組織・社会の知識生態学を研究テーマとする経営学者でもある紺野登氏にお話を伺った。

紺野 登 氏 (Noboru Konno)
KIRO株式会社代表多摩大学大学院教授

早稲田大学理工学部(現・理工学術院創造理工学部)建築学科卒業。株式会社博報堂マーケティング・ディレクターを経て、現在KIRO株式会社(旧株式会社コラム)代表、多摩大学大学院教授(知識経営論)。博士(経営情報学)。多摩大学・知識リーダーシップ総合研究所(IKLS: Institute of Knowledge Leadership Studies)・所長(2008-2010)の後現在同教授。京都工芸繊維大学新世代オフィス研究センター(NEO)特任教授。同志社大学ITEC(技術・企業・国際競争力研究センター)客員フェロー、東京大学i.schoolエグゼクティブ・フェロー。

ジュガードとイノベーション

松風:今回は、イノベーションという幅広い概念の中でも「ジュガード」(ヒンディー語で革新的な問題解決の方法)に焦点を当てたいと思っています。イノベーションというと、どうしても最先端のビジネスモデルを追いかけていく、あるいは、ビジネスモデルを洗練させることに意識がいってしまいがちです。ただ、日本企業もグローバル化を目指していく中で、"ジュガード精神"的に創意工夫の中から、あるものを組み合わせて新しいニーズを掘り起こすといったアプローチも大いにあると考えています。細部まで検討し、詰めて完成させていく、というよりは、まずはラフでいいから今あるものを利用してやってみよう、創ってみようよという、非常に楽観的でポジティブなスピリット。そういったイノベーションのあり方と日本企業はとの馴染みはどうなのか?"ジュガード精神"や"Do more with less"のようなアプローチは、紺野さんの提唱する「目的工学」と適応するのか?その辺りのご見解を伺いたいと思います。

紺野:私は一昨年あるリサーチのためにインドのアーメダバードに行きました。一緒に行った人たちには、彼の地は宗教上の理由でお酒や肉が禁止ですので、不評でしたが(笑)。まぁそれは半分冗談ですが、おそらくガンジーの精神が"ジュガード精神"の根源ですね。つまり、「どれだけたくさんの民のために良いことができるか」ということが"ジュガード"の根底にあると思うのです。一般的に、カントリーIQといいましょうか総学習能力、総国家知能とイノベーションというのはリンクしてしまうので、そういった点では教育が十分ではないインドは分が悪いのです。ですから、彼らは数の論理で行動します。どれだけたくさんの人が多く助かるかとか生存できるかで、まさに生存のためのイノベーションを考えています。
「ナショナルイノベーションシステム」という言葉がありますが、日本のイノベーションは、大企業がイントラプレナー(社内企業家)であったり、最近では大企業とベンチャーがコラボレーションする、といったタイプのイノベーションシステム、かつては経産省・通産省がサポートしていたという北欧型のイノベーションシステムをもっていたわけです。インドはというと、国家もありますがボトムがすごく多く、どうやって、既に生活や社会の現場にいる人の力を使っていくか。コストもないので創意工夫をもって、皆のために良いものをつくる活動をサポートする、というのが大きな一つのカルチャーだと思います。
企業のR&Dはますます加速し、ネットワークが広がりグローバル化しています。だからこそ、地域別のイノベーションはすごく重要視されるのです。というのは、イノベーションはR&Dではなく社会や生活の現場の洞察によって生まれてくるからです。インド発の考え方は、本当は日本と補完性が高いのではないでしょうか。日本の企業は数の論理だとか、その計算がとても苦手ですが、「計算する」能力については、インドは非常に長けています。インドの国民性も良い、親日的な人も少なくない、にも関わらず、インドで上手くいくイノベーションの型が日本でうまくいかないのは、イノベーションシステムの違いと、自社のオープンイノベーション(企業内外のアイデアを組み合わせ、革新的で新しい価値を創り出すことを目的とする)の戦略の整合のさせ方に要因があるのではないでしょうか。というのが、リサーチの時の私なりのファインディングです。

目的からイノベーションする目的工学

松風:今後、日本はリソースレスになっていく中で、よりDo more with lessのような発想が求められ、その一つがオープンイノベーションという手段であると思います。しかし、その中でも何重もの議論があります。日本の技術立国の中枢にいる人たちは、オープンイノベーションに対して後ろ向きな部分もあり、少し温度差を感じています。開かれていかなければいけないところと、国益保護との狭間に少し議論の壁があるような気がしているのですが。

紺野:日本がもっとインドから学ぶという意味でも、私は「目的工学」を提唱しています。これは、パーパスエンジニアリングやパーパステクノロジーと言ったりもしますが、どうやって目的からイノベーションをするのかというところが一つあります。そういった意味では、日本には素晴らしい技術はありますが、技術立国かというと本当にそうでしょうか。
今でこそ新幹線は日本の技術革新、日本の技術の宝とか言われていますが、実は新幹線はジュガードなんです。完成度は高いけれども革新的な技術は使われておらず、全て戦後の遺産と技術です。既存の技術を目的のために集め、既にあったリソースが再活用された。オリンピックという目的のために、素早く間に合わせたのです。そういった精神が日本のイノベーションの根幹にはあるのではないでしょうか。スケール感があまりにも違うので同じように見えないかもしれませんが、まず目的を考えて、そのためにいくつかの手段を組み合わせていくというのがイノベーションだと思うのです。実はイノベーションというのは全てそうで、技術は手段でしかありません。目的がなければ、技術は陳腐化するだけなので、すでにオープンイノベーションや、ネットワーク型の開発が常識になった世界の中で、クローズのままやっていれば全ての技術が陳腐化するのは明らかです。目的をもう一度定めながら技術を多様に使うことや、先ほどのお話ですが「計算」の必要性を感じます。
例えば、オープンイノベーションで企業外の参加者とのプロフィット・シェアリングの計算が出来ません。ずっと自分でモノづくりをやってきた人たちは、『どうやって分けるんだ、分けるなんて考えられない』、と言うと思います。しかし、オープンイノベーションでは分けなければいけない。つまり、シェアリングエコノミー(欧米を中心に拡がりつつある新しい概念で、ソーシャルメディアの発達により可能になったモノ、お金、サービス等の交換・共有により成り立つ経済のしくみ)ではないけれども、今は分けてやる時代なのです。そういう意味ではインドの精神というのはまさにシェアを重要視しているといえます。ですので、クローズドな技術を手段としているにも関わらず温存していくというのは、おそらく今の世界の時代の流れからすると逆行しているのかなと思います。取られてはいけない技術とか、技術を盗もうとしている人たちもいるので、それは当然そうなのですが、いったいどこで何を公開して何を取り入れて、という計算が強くないとこれからの時代では生き残れないかなと思います。生き残りをかけた目的のために技術をつくって、プロトタイピングなどをやっていくというデザイン思考のように、今の時代の中で共通するものがあるので、ジュガードイノベーションが注目を集めてきたのかなと思います。

松風:既存の、いわゆる企業用語でいうと新規事業開発に手詰まり感がありますが、そういったものがきっかけになっているのでしょうか。

紺野:そうですね、手詰まり感もありますし、既存事業の縮小の可能性に対して多角化したり新規事業をやろうしていたわけですが、本業の陳腐化が早くなってきています。本業が潰れるなどといったことも少なくない。時代の変わり目で、本業自体が陳腐化したり、賞味期限が切れたりという中でなにかをやらなければいけない、ただ社内の中では否定的な意見があるのが主流。どうするのかというと、外に開いてネットワークをするというところに投資をしようという企業がでてきたということではないでしょうか。

ジュガードの三要素

松風:ジュガード精神の大事なところのもう一つは、平たく言うと、何かトライするときに「明るく楽しく考えて」というような価値観があると思います。その辺りはいかがでしょうか。

紺野:スピリットとして、ジュガード精神には、三つの要素があります。まず、「善い目的」であるということ、ユーザーに対してすごく「共感をする」ということ、また、それをもとに何かをする「場所」をもっているということです。これがイノベーションをやる多くの企業にない場合があります。例えば、研究所に技術がある場合、目的もはっきりしない場合もあり、当然マーケットに行かないため共感もない。研究所があっても講義の場はないところもあります。「イノベーションがうまくいかない」ことに対して、ジュガード的にアドバイスするなら、目的を持つこと、強く共感をこれからの社会に対して持つこと、それから、イノベーションの場でそれらを持つことを実践していきましょう、ということですね。場はとくに大事で、インドは都市つまりストリートがイノベーションの舞台になっている。人々のため、誰かのためにと共感をもってやろうじゃないかという強い気持ちがあって、皆が見ているような場所でつくるのです。こういった点は大企業には欠けている場合が多いと思います。

松風:確かに、「場」が一番難しいというか欠けがちですよね。日本の組織は縦割りだということが、長い間、そして様々な場面で問題となっていますが、縦割り組織のままであると、場をもちにくいのでしょうか。

紺野:組織とも関係しますが、新規事業のロジックの立て方が間違ってきているのではないでしょうか。イノベーションというのは本業と関係ないものだと思ってしまう。日本では本業事業があって、そしてイノベーション、というふうに考えがちですが、すべてがイノベーションなのです。
一般的なイノベーションの位置付けというのは、本業や主力事業周辺に関連事業があって、さらに新規事業、多角化事業がある。これらをイノベーションと言っています。これに対してどれも同じようにバランスよくイノベーションし、進化するのがイノベーション経営。イノベーションをしないとどうなるかというと、陳腐化してなくなるわけですよね。
これは後で気付きましたが、クリステンセン(クレイトン・クリステンセン:ハーバードビジネススクール教授。著作『イノベーションのジレンマ』)が提唱する、破壊的イノベーションの考え方に通じますね。既存事業は利益拡大や維持のために新製品開発を行って維持的イノベーションを志向します。それだけでなく改善などによって効率的イノベーションを行う。しかし、いずれも新たな市場や消費はもたらさない。効率的イノベーションに向かう。しか維持的そこで破壊的イノベーションをやる必要がある。将来のバランスをうまく取りながらやっていくということです。すべてをイノベーションする。イノベーションとはそのうち言わなくなっていいのですが、イノベーション経営をやる必要がある、というのが今ここで考えていることです。

ビジネスを「計算」する

松風:さて、伺いながら、実践的に考えると、「計算」のお話がやはり難しいと思いました。どういったプレイヤーが計算に入るのか。どういう時間軸で入るのか。それからどのようにプロフィットシェアをするのか。持続的にイノベーションを起こしていくためには、このような複数の変数を組み入れた方程式のような考え方が必要です。今、紺野さんがご覧になっていて、一番気にしなければいけないところや、欠けているところは、「計算」の中のどういった概念でしょうか。

紺野:私もまとめて言えるわけではありませんが、まず時間軸の形成です。いわゆる、プリコンペティブ・コーポレーションといって、競争が起こる前の段階の協業が重要です。競争が始まってからとでは協力の違いでかけるお金などが違うわけです。競争する前の段階であれば割と伸びやかにやっていきますが、具体化していくときにそこで誰がイニシアティブをとるのか、不公平感の有無、そういったバランス、時系列的な相互の信頼やルールという計算が必要です。おそらくビジネス感覚なのですが、その計算力ですね。それから、次に必要なのは、新しいビジネスモデルをつくるということで、どういう関係性、どういうロジックで儲かるようになるのかという計算。偏微分までいかないけれども、システム的な計算ですね。それから、これをもってどんな事業になるのかというマーケット全体をみるときの、スケールアウトをしてしまっても計算できる力。つまり、すごいスケール感で考えるわけです。十の二乗の話をしているのではなく十の五乗の話をするといった計算で、インド人は、こういったいくつかの計算ができているのだろうなぁと思います。ですから、インド人の計算能力というのが、ジュガードの背後にあるのではないでしょうか。

松風:日本は今までずっと小さなマーケットでやってきたので、スケールアウトをどう読むかというところは、苦手なのかもしれないですね。

紺野:日本は、一億人の小さな市場で、「せいぜい十億人でいいんだ」とか「星の数ほど」とか、そういう計算をぱっとできるかというと、できない。流通システムをつくる?十億人?じゃあ一億人の十倍だなと思うのは計算ではないのです。質的に違うわけです。スケールの計算をしないといけないのですが、そこはすごく難しい。そこに耐え切れないと事業撤退を余儀なくされると思うのです。

松風:クリエイティブなフェルミ推定(正確な値を得ることや実際に調査することが困難な数量を、わずかな情報や値を元に論理的な推論を進め、短時間で定量的な概算をすること。)といいますか、そのような感覚ですよね。

紺野:これからのビジネスには、ああいう計算力が必要かなと思います。積み上げではなく、突然なにかが起きた時に、どのようにマーケットが変化していくかということを構想していく力、これが一種の計算力だという気がします。僕の言える話ではありませんが、今までにない頭の使い方を、これから日本の企業もしていかなければならないのではないでしょうか。それは、普通にしていると日本の教育では教わらないので、自主的にしていかなければならない。

松風:インドの人と話していると元気になります(笑)。

紺野:そうですね。インド人の人と話すと、計算高くて冷たいかというと、そうでもない。割と人のことを考えたりしてくれているので、なかなか一筋縄では理解できないなあと思います。

松風:今日は、Do more with lessの背景にある、根源的ジュガード精神と、それをイノベーションに昇華する力、日本がそこから学ぶものについて、様々な角度からお話をうかがいました。ありがとうございました。

「ジュガードとイノベーション」Impression

ジュガードと紺野氏の提唱する目的工学は、目的設定(どのような問題を解決するか)、という共通のスタートラインを持つ。社会的文脈を意識した「善い目的設定」が最初にあり、目的達成のための「ユーザーへの強い共感」と、イノベーションを行う「場」、この3つの要素が、ジュガード的イノベーションには必要だとの話であった。
特に、Do more with lessを実現するためには、他社/他者との相互インプットを行う、オープンイノベーションの導入も大事である。自社では使い古された資産と思っていても、他社から見ると魅力的に見えること、あるいは他者からもらった気づきで、思いもかけない使い方ができた、という例は多くある。
これを持続的なビジネスとするための「計算」含め、新しい価値創造へのヒント、そしてリマインドをいただき、今後少しずつでも自身の仕事に活かせればと思っている。紺野さんは私の前職の大先輩であり、折に触れてお会いするたびに、いつもその慧眼と見識に感服し、刺激を受けている。ありがとうございました。

(日本マーケティング協会 Marketing Horizon 2016年4号への弊社代表松風の寄稿を元に抜粋)


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